片手間の熱意

ランニングと読書感想文

なんでもいいから1冊やり切る

『新しいことに取り組むとき、まずは売れてる人気のハウツー本をやり込む』

 

これはなんとなく僕が考えるライフハックです。「内容の薄っぺらい内容のハウツー本では本質は身につかない!」「そんなんで身についたら今頃みんなプロ」「古典を読み込んでこその教養!」などなど、ハウツー本に対する風当たりは強い気がしますが、最初から難しい本を読んでいては挫折する可能性が高いし、そもそも本質は素人が理解できないからこその本質なのです。胡散臭くたって、まずはプロが簡単に噛み砕いてくれたものを完璧にしましょう。誰得感満載ですが、そんな僕の体験を紹介します。

 

【原体験:大学入試】

「強豪私大に入って箱根を目指すから受験科目は国数英だけ。」

安易にこう考え、その他の科目を赤点スレスレのレベルで捨てていた僕は、最後のインターハイ予選で無残にも5000m16分台で散り、こう思ったわけですね。

「にゅ、入部すらできないんじゃね?」

こうして高3の夏、僕は「強豪私立で箱根」を諦め、大学で何を学びたいかを考え直し志望校を変更。5教科7科目の海へ飛び込みました。

それまで完全スルーだった「化学」と「地理B」をいかに半年後のセンター試験に間に合わせるか。考えた結果「一番優しそうな参考書を完璧にやりこむ」という方針を打ち立て、下記シリーズのもので勉強しました。面白いほどとれる!胡散臭さが最高!

大学入学共通テスト 化学の点数が面白いほどとれる本
 
改訂第3版 センター試験 地理Bの点数が面白いほどとれる本
 

「もっといい参考書があるのでは」と思いながらも、時間がなかったので騙されたと思って浮気せずやり抜きました。そして2周した頃には元々興味がないと思っていたこの2科目を面白い教科だと認識し直していました。本番のセンター試験ではこの2科目が得点源になったことは言うまでもありません。これが僕の原体験です。

 

【最近:料理】

子どもが産まれ、産後で動けない嫁氏に代わり、育休中は家事を一手に引き受けることになりました。皿洗いは食洗機、洗濯は洗濯乾燥機にやらせましたが、炊事については全部買い食いだとコスト的にも健康的にもよくなさそうだったので、自分で作ることにしました。毎回スマホで検索するのが面倒だったので、タイトルのとっつきやすさ惹かれて下記の本を購入しました。

目標は「とにかく記載のある102品を全てつくってみる」。途中からはSNSバエを意識してトマトやほうれん草を添えたりもしました。味噌汁は作ってみるとクッソ簡単なことに気づいたので毎晩のデフォルトに。

 

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料理なんてカレーとお好み焼きとスパゲティしか作ったことなかったんですが、数をこなしていくと「調味料の意味を理解すればレシピがなくても作れるようになったり、適当にアレンジできるようになるのでは?」など、ちょっと体系的な知識やスキルに対して興味が湧いてきます。そして次の参考書にステップアップ。やればやるほどやる気が湧いてくる。

味つけ黄金比率で基本の料理100

味つけ黄金比率で基本の料理100

 

 

 

【その他①:いきもの】

ある時期、休日に山や公園へ行って木を見分けまくって325種類暗記。スカウターをつけたようにそこら辺の木の名前がわかるようになりました。緑化樹木識別検定というマニアックな試験も得点9割超えで1級合格。

 

【その他②:外国語】

最効率! 例文で覚えるドイツ語単語

最効率! 例文で覚えるドイツ語単語

 

基本的な文法を勉強したあと例文をiPhoneに入れて毎日通勤で聞き流してたらほとんど文章理解できなかったのにドイツ語検定2級合格。さすがに聞き流すだけでは準一級は不合格。

 

【その他③:スポーツ】

ダニエルズのランニング・フォーミュラ 第3版

ダニエルズのランニング・フォーミュラ 第3版

 

学生時代の部活以来6年のブランクの後、陸上を再開した際この本をコーチとして仰ぎました。学生時代なんとなくでやってた各トレーニングの生理学的な目的やトレーニング計画の立て方を参考にして1年半継続。アラサーのおっさんが、10代の頃に出した自己ベストに迫るところまで来ることができました。

 

 

以上、「それってなんの役にたつの?」って思われることばかりですが、周りにキモがられながらも没頭してみるとかなり世界が広がります。例えば一番引かれそうな「木を覚える」は、木って旅行に行っても通勤しててもそこら中にはえてるので、ほんとに毎日の視界が一変します。あとは建築とかに詳しかったら旅行がかなり楽しくなるかも。

 

人間以外の動物は生きてく上で必要ないものに没頭しません。なぜなら生きるのに必死でそのエネルギーが無駄だからです。役に立たないものに夢中になれるのは人間様の特権なんですね。なにか無駄なものに熱中できる人間的な1年にするために、是非元旦は本屋に足を運び、胡散臭いハウツー本を買いましょう。

育児陸上2020

2020年が終わろうとしています。今年の大まかな流れは下記のとおりです。


1月    ハーフ71分47秒(PB)

2月    フル2時間33分(PB)

3月-4月  故障

5月-6月  リハビリ

    ☆☆娘爆誕☆☆

7月-9月  ジョグのみ

10月-11月  ポイント再開

12月    5000m16分10秒


前回ブログ更新以降、陸上に関しては低空飛行な1年でした(家庭的には娘が誕生したのでその逆)。2月のフル翌週、jogを再開したところ腸脛靭帯が崩壊していることが発覚しました。世間より一足早く緊急○態宣言が出されていたわけです。3,4,5月はやれてjogのみ。ポイント練を再開し始めた初夏に娘がお生まれになりました。初めての育児で陸上のことをあれこれ考える余裕もなさそうだったので、 3ヶ月は思い切ってjogだけにしました。一応週1回、夜娘が寝てる時を狙ってlong jogを取り入れ、15kmでヘタっていた体をなんとかキロヨン30kmを余裕をもって走れる水準に戻しました。

 
10月からはLT走を再開し(6.2km,3:22-28/km)、11月はVO2maxを入れ(1200m×3-5,3:10-15/km)、何度か記録会に出るも16:10で2020は散ることとなりました。おそらくこのままあと1ヶ月くらい粘れば15分台を狙える程度にはなる気がしますが、そもそも公認トラックが無さそうなのと、ロードレースも中止が続いて大会への募金のような状態になってしまっているので、VO2max等の仕上げ練はここで一旦一区切りとし、4月のトラックシーズン再開まで冬み...冬季練習期間としたいと思います。


2年前、陸上を6年ぶりに再開した頃にはすでに夫婦で子どもを考えており、「小さな子どもがいたら走る時間なんてなくなるだろうから今のうちに走っておこう」という気持ちでした。残された時間は1年半くらいだと思っていたので、最短ルートで高校時代から不動の自己ベストを更新しようと考え、コストパフォーマンスを重視した練習を心がけました。

 
しかし段々と1年半では思った以上に満足できる結果が出せないと悟りだし、コストパフォーマンスの方向性が「子どもが生まれるまでに急いでベストを出す」から「子供が生まれてからも家庭円満でランニングを続ける」に変わっていきました。

 
結局7月に娘が爆誕した後もしれっとランニングを続けられています。そ、そういう意味では5000m16分切れなくたって、つ続けられているだけで御の字でしょう。


心がけた点としては、

①子どもが寝ている間に練習

②練習からなるべく早く帰ってくる(Door to Door 60-70分目標)

③(特に休日は)同じ時間分、妻にも自由時間を過ごしてもらう

④常に嫁氏の顔色をチェック

の4点です。今のところ多分家庭円満だと勝手に思ってます。


しかし全く油断はできません。子どもの手のかかり具合は刻一刻と変化しており、嫁氏の育休明けも近づいています。人生を豊かにするための趣味で家庭を壊すのは本末転倒です。特に④番を意識し「私は趣味をやっているのではない、やらせていただいているんだ」というテーマで2021年もやっていこうと思います。

 
春の腸脛の故障は、急いで速くなろうとした2019年の無理がたたったものだと思いますが、これが今年の低調の諸悪の根元だと思います。今後は急いで速くなろうとはせず、37歳のベルリンマラソンで一旦ピークを持って来れるよう、怪我せず細々と続けていきます。40歳までの体力の衰えは都市伝説だと思ってます。


なお育児の大変さは本当に人それぞれだとあることを申し添えいたします。幸い今は娘が21時頃に寝てくれるので走る時間を確保できていますが、これは娘と嫁のおかげそのものであり僕の実力ではありません。


p.s.

2020年の目標はランニングコストの縮減(34.5万→17.5万,△17万)でしたが、合計8.4万円で約26.1万円の縮減に成功し、見事目標を達成しました。

気づき→金はかけたらかけただけ楽しい

koaitamei.hatenablog.com

 

2019/20年マラソンシーズンまとめ

競技復活から15ヶ月間ひっそりと大本命にしていたマラソンが終わりました。

目標がなんだったかというと「入賞して活躍すること」でした。結果は入賞まであと1つ順位及ばず、タイムは2時間33分でベストは1分だけ更新しました。

ダメ元でタイムを狙おうと思ってた東京マラソン新型肺炎により取りやめになった今、一応区切りなのでまとめておきます。

 

■練習(11月末マラソン終了後から)
12/04 1200m×5(3:08-10/km,r350m,1:45位内)
12/08 1000m×5(3:00/km,R5分,3本で脛が張ってDNF)
12/10 16kmPR(3:35/km)
12/15 記録会5000m 15:47(3:06-08-11-13-09)
12/16 30kmjog (4:20/km)
12/18 LT6.2km (3:21/km)
12/22 記録会5000m 16:11(3:06-07-12-24-21)
12/27 2000m×3(R10分,6:06-23-19)
12/29 35kmjog (4:24/km)
01/02 31kmjog (4:12/km,試走)
01/05 駅伝6.6km 21:07(3:12/km)
01/08 30kmjog (4:06/km)
01/11 21.4kmPR(3:26/km)
01/15 2000m×3を1本目の1000mでDNF
01/19 ハーフマラソン71:47(PB)
01/22 LT6.2km+1000m(R5分,3:20/km-3:02)
01/26 ロードレース10km 32:47
01/29 30kmjog (4:14/km)
02/02 21.1kmPR (74:54,3:33/km)
02/05 2000m×3を1本目の1000mでDNF
02/09 調整①10kmPR (3:30/km)
02/11 調整②1000m×2(2000m×1から変更,3:02-2:58)
02/13 調整③5kmPR 17:32(3:30/km)

 

longjog...5回
PR...3回
LT...3回
VO2max...8回(うち2回DNF)
Repe...1回(DNF)
調整...3回

 

12月...走行距離278km,完休11日
01月...走行距離281km,完休13日

 

■食事

8日前...シズラー
7日前...マックと飲み会
6日前...おかわり禁止
5日前...おかわり禁止だけどおかわり
4日前...おかわり禁止,水2ℓ,かりんと饅頭
3日前...おかわり解禁,水2ℓ,かりんと饅頭
2日前...昼飯大盛,水2ℓ,おかわり,かりんと饅頭2つ
1日前...昼ケバブライス,水2ℓ,夜丸亀特盛いなり2つ
当日...朝餅6切,24km地点でマグオン

 

■計画

練習の内容にコースのアップダウンを加味し、かなり上手くいって3:35/km(2:31)、3:40/km(2:35)は遅すぎかな、という感覚でした。直前2週間呼吸が浅くてピーキング失敗かと思いましたが結果3:38/kmだったのでピーキングは成功していたものと思われます。

レースはひたすらイーブンで押して落ちてきた人を拾う。特に中盤の壁のような高低差の坂までは決して努力感を出さないことをこころがけました。

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■レース

17:50-17:57-17:57-18:13-17:51-18:14-18:47-8:26

感覚に任せてたら3:35/kmくらいになり、ちょっと体感速めで最初結構不安でした。

7km地点にて、一緒にいた4人グループで急に自己紹介タイムが始まりました。後ろの2人は3:40/km希望、リーダーは3:30-35/km希望、僕は3:35/kmでした。音楽性の違いによりそのあとすぐ解散しました。

20km地点、高低差40mの激橋をリズムよく登り切ったところで、引っ張ってた集団が全員いなくなっているという怪奇現象に気づき、ここでベスト更新の自信がつきました。(ゲス顔)

32km付近の折り返しで自分が入賞圏内にいないことに気づき、乳酸と差し込み同時に襲われるなどメンタルの弱さを発揮しました。その後リタイアマンを見つけちょっと元気になりました。(ゲス顔)

それでも38kmではかなりきつくなり、入賞できないことを本格的に悟りました。アイデンティティクライシスを引き起こし、親戚の応援団の前では完全に死んだ魚でした。

最後の激坂はキロ5近いペースになり、自分のカスっぷりを噛み締めて競技場に入り、あと400m。そしてそこで抜いてきたランナーを見て目を疑いました。スタートで初めてお会いしたツイッタランドの愉快な仲間たち(の1人)でした。僕のアイデンティティが復活しました。とりあえず全ての乳酸がATフィールド全開になりました(日本語)。まずは抜き返し、仕掛けてくるであろう最後の直線でいかにしてかわすかを200mかけて必死に考えました。出た答えは「右足と左足を交互に素早く前に出す」でした。

 

嫁が撮ったデットヒートの動画を見る限り入賞された方より僕たちのほうが何百倍もいい動きをしていました。何より、最後まで頑張ってる姿に感動して嫁が泣いていました。入賞はできなかったしテレビにも映りませんでした。でも僕は嫁の中で優勝して活躍しました。目標達成。

2020年の目標

あけましておめでとうございます。もう2020年も5%が終了してしまい今更感MAXですが今年の目標についてです。

5000m15分〇秒!とか〇〇マラソンで入賞!!とか具体的な数字を掲げたいところですが、自分の場合目標を掲げると必ず達成できないというジレンマを抱えています。大学2年の手帳には「まずは5000m15:10と10000m31:00!」とか書いてあって今考えれば大草原でした。これは読書や勉強でも同じで、同じ手帳に「読書100冊!」と書いてありましたが実際読んだのは1/3くらいでした。ただ単に目標の立て方が悪いだk(ry まあ、目標に縛られて趣味をやるのも僕みたいなゆとりにはしんどそうなのでやめます。ということで2020年は大目標を特に定めず楽しくやりたいと思います。以上

 

と、言いたいところですが必ず達成しなければいけない目標が一つだけあり、それはラン活費用の節約です。2019年、ランニングにかかった費用総額は34万5千円で月にならすと3万弱でした。かかりすぎですね。追い討ちをかけるように、妻の熱望により今より家賃の高い部屋に引越しすることになりました。このままだとランニング以外お小遣いゼロになりそうなので概算のコスト縮減計画を立てたいと思います。

 

①大会参加費・交通費・宿泊費(16万)

2019年:計21本(フル4本、30km1本、ハーフ5本、トラック9本、その他2本)

トラックはコスパがいいので金銭的には削る必要はないとして、ロードに出すぎなのでフル2本、ハーフ3本とします。【縮減8万】

 

②シューズ代(4万)

シューズはランナーの命なので削れません。削るのはソールだけでじゅうb【縮減なし】

 

③ウェア、ランニング用品(9万)

2019年はランニング再開に伴いGarminやウェアなどいろいろ揃えたので膨らみました。今年は2万くらいで抑えたい。【縮減7万】

 

④練習交通費(1.5万)

皇居いったり練習会いったりは楽しいので削りません。【縮減なし】

 

⑤治療費(4万)

故障した時保険適用外の治療院に6回も駆け込みました。これは結構痛い出費なので、今年は3-4ヶ月に1回にしたい。【縮減2万】

 

これで半分程度に削減されます。つまり要点を絞ると目標達成のために、
①出るレースを絞る
②怪我を頻繁にしない
の2つを頑張りたいと思います。なんとなくこの2つは記録向上にも繋がってきそうでよろしい。はい、こうやって書いてしまったのでジンクスによりおそらく達成できないでしょう。ご査収ください。

2019年まとめ

2018年暮、jogger卒業にあたり自分で100%練習メニューを組むのが初めてだった僕は「ダニエルズのランニングフォーミュラ」というベストセラーを購入しました。高校時代から参考書大好き人間だった僕ですが、なぜか陸上に関しては陸マガを何回か買ったことがあるという程度でした。長距離は理論よりメンタルだお!とか思ってたんでしょうかね。まじメンヘラ。

 


売れている本には大体いいことが書いてあるものです。大学時代を故障で棒に振った身&ゆとり世代の僕としましては、絶対に無理をさせないダニエルズ先生の姿勢に非常に感銘を受けました。そのあとリディアード本を買ってみたり、ネットでいろんな記事等を読んだりしましたが、基本的な組み方はダニエルズ先生を軸にしました。だって一番優しいからね。

 


実際は先生のトレーニング体系に自分の好みをふんだんに入れ込み、2018年12月jogger卒業後は下記のとおり①②③④の大きな期分けの下に⑴⑵⑶の期分けをしスケジュールを立てました。

 


①1-3月現役復帰(東京M)

②4-7月スピード強化(夏記録会)

③8-11月学生時代を超える(秋記録会)

④12月-マラソンへ一旦fix

 


⑴スピード(1000m×3レペetc)

⑵vo2max(1200m×4インターバルetc)

⑶調整(6.2km閾値走,16kmペーランetc)

 


ポイント練は週2、jog(10-12km)を週3-4というスタイルに落ち着きました。ポイント週2だと時間が確保しやすく、毎回フレッシュな状態で取り組めます。曜日も決めずやれる日かつやりたい日にやり、メニューも大まかな目的だけ守ってほぼその日の気分で決めました。そのおかげでポイント練の日は毎回やる気満々マンでした。

 


結果としては

①東京Mで2:40カット

②6月記録会で5000m15分台ギリギリ突入

③10月記録会で5000mPB(15:36,高3)に1秒及ばず

 


というとてもスリリングな展開でした。10月の記録会後は調子にのって膝を痛めてしまい2週間休養、ここから調子が落ちて11月はなかなかうまく走れませんでした。それでも5000mPBが諦められず、マラソン移行期として位置づけた12月を犠牲にして2回記録会に出ましたが無残に散りました。12年ぶりのPB更新は春の楽しみにとっておいて、今は2月のマラソンに向けて絶賛焦りながら距離踏み中です。

 


練習が充実してから成果が出るまで数ヶ月のタイムラグがある、ということを今年は強く感じました。本番を目標タイムで走るためには「目標タイムくらいで走れそうな練習ができた」ではなく「略)練習をある期間継続できた」が必要だと思います。ここで問題なのは、「練習はできているけど結果が出ない」という期間が生じることです。この期間は自分の取り組みが正しいのかどうか不安になる時期だと思います。実際僕も7月の記録会で16:30を叩き出したときは「ちょw」と思いました。追い討ちをかけるように他人から厳しい言葉をかけられる時もあります。「練習のための練習」「練習番長」などがその代表でしょう。しかしよく考えてください。練習でレースの100%の距離を目標レースペースで走ることはなく、練習は必ず本番の強度より低いものになるはずです。本番は練習以上の力を発揮する前提なのだから、相応の練習は何回も成功させないといけないんですね。何回も成功させる過程での不安や雑音は華麗にスルーするのが一番です。ここがスルーできないと不安や雑音ばかりなのに結果も出ないし楽しくないという何故走ってるか分からない状態に陥ります。2020年も、いやこれからも、「走る」という変態でクレイジーな趣味で楽しみながら継続できるようこのことは肝に命じておきたいと思います。

 


最後に、今年はTwitterのラン垢を作り多くの方と繋がり、何名かとは直接お会いして知り合うことができました。この一年楽しくほぼソロ活動でできたのは皆様に沢山の刺激をいただけたからだと思います。どうもありがとうございました。

 


それでは良いお年をお迎えください。

Prelude

僕は全国中学駅伝を走りたいという理由だけで陸上を始めました。

 

中学入学当初の1500mは6分を少し切った程度、50m走も6秒後半くらいで、走るのは嫌いでした。入学した中学の陸上部が県駅伝連覇中で、もしかしたら自分も全国大会に出れて、周りに自慢できるかもと思い、鼻の下を思い切り伸ばして陸上部へ入部しました。入部の意を伝えられた顧問も、なんて鼻の下の長いやつなんだと思ったことでしょう。よく入部させてくれました。

 

練習は地獄でした。ほぼ毎日2部練で週5日スピード練習、総距離は1日10-20km、年360日練習でした。朝練がキツくて毎朝起きるのがしんどかったし、昼休みにはよくみんなで雨乞い(真顔)をしたのを覚えています。同地区に都大路常連高校がありましたが、そこに進学した先輩たちは口を揃えて中学の時の方がキツかったといっていた程でした。そして3年の時は練習も試合もタレてばっかりで怒られてた記憶しかありません。

 

結果的に全中駅伝は2,3年生で2回走ることができて、この経験とその時の仲間は人生のかけがえのない宝物になりました。個人全中選手の1区2区3区のお膳立てもあって3年時は4区で一時2位まで順位を押し上げ、地元新聞の取材を受けるほどの美味しいポジションもいただきました。「次は都大路ですね!」と聞かれ「(なんちゃって)進学校に行く予定なので、次は箱根です(キリッ」と答えたことをはっきり覚えています。いま思えばこの時が僕の陸上人生のピークでした。

 

高1初5000mが16:03で、高3引退前が15:36なので伸びはイマイチでした。そしてそのタイムが今もそのまま自己ベストとして堂々と居座り続けています。何故なら大学4年間は故障続きで、大学卒業を機に陸上をやめてしまったからです。え??なんで高校大学の話はこんなに短いのかって??高校大学はダメダメだったので意図的にはしょってるからに決まっt 文字数の関係です。

 

速くなりたい、速くならなければいけない。あのレースでタレたのは、この練習をこなせなかったのは自分が弱いからだ。こんな弱い人間は何をやってもダメだ。今思えばこんな価値観に侵されていた気がします。僕は努力ができない怠け者なのに、当時は価値観だけストイックで、大学時代は理想と現実のギャップに悩み何故部活に行ってまでやってるかわからなくなった時が何度もありました。そして4年間自己ベストも出せずに競技生活に幕を下ろしました。でも大学の部活は本当に走るのが好きな人が集まってて、僕もやっと走るのが好きになれました。それが本当によかった。

 

時が経ち三十路も目前となった去年の秋、東京マラソン当たったし、コレステロールは高いし、東京マラソン当たったし、残業少なくなったし、東京マラソン当たったしってことで競技的にまた走ることにしました。この先子どもができたら走れなくなるかもしれないから今のうちに、という気持ちもありました。

 

6年間走らない間に彼女ができて家族になったり、進学や就職を経て自分の興味関心が広がって陸上以外の趣味も何個かできたりしました。だから、もう中高生の時のように何もかも陸上に捧げる、みたいなことはしたくなくて、いろんなやりたいことの合間にランニングを入れ込んで、相乗効果で全部満喫する、というテーマでこの1年やってきました。

 

努力のできない僕(ゆとり偏差値83)にはそれくらいが実はちょうどよくて、幸いこの1年間ポイント練が憂鬱だったことは一度もありません。なにより大学4年間で達成できなかった5000m自己ベストの更新も目前まで来ています。だからって学生時代の自分を否定するとか、市民ランナーでストイックにやってる人を否定するとかではなくて、走るのが好きだったけど社会に出てやめてしまった人たちも、うまく熱意をコントロールできれば、好きな陸上を生活に取り戻せるんじゃないのかな、と思うんです。

 

「あの頃のように全てを捧げないとあの頃のようには走れない」は思い込みかもしれません。思い込みだと証明するn=1となりたい。そんな想いでお送りします。「片手間の熱意」