片手間の熱意

ランニングと読書感想文

Prelude

僕は全国中学駅伝を走りたいという理由だけで陸上を始めました。

 

中学入学当初の1500mは6分を少し切った程度、50m走も6秒後半くらいで、走るのは嫌いでした。入学した中学の陸上部が県駅伝連覇中で、もしかしたら自分も全国大会に出れて、周りに自慢できるかもと思い、鼻の下を思い切り伸ばして陸上部へ入部しました。入部の意を伝えられた顧問も、なんて鼻の下の長いやつなんだと思ったことでしょう。よく入部させてくれました。

 

練習は地獄でした。ほぼ毎日2部練で週5日スピード練習、総距離は1日10-20km、年360日練習でした。朝練がキツくて毎朝起きるのがしんどかったし、昼休みにはよくみんなで雨乞い(真顔)をしたのを覚えています。同地区に都大路常連高校がありましたが、そこに進学した先輩たちは口を揃えて中学の時の方がキツかったといっていた程でした。そして3年の時は練習も試合もタレてばっかりで怒られてた記憶しかありません。

 

結果的に全中駅伝は2,3年生で2回走ることができて、この経験とその時の仲間は人生のかけがえのない宝物になりました。個人全中選手の1区2区3区のお膳立てもあって3年時は4区で一時2位まで順位を押し上げ、地元新聞の取材を受けるほどの美味しいポジションもいただきました。「次は都大路ですね!」と聞かれ「(なんちゃって)進学校に行く予定なので、次は箱根です(キリッ」と答えたことをはっきり覚えています。いま思えばこの時が僕の陸上人生のピークでした。

 

高1初5000mが16:03で、高3引退前が15:36なので伸びはイマイチでした。そしてそのタイムが今もそのまま自己ベストとして堂々と居座り続けています。何故なら大学4年間は故障続きで、大学卒業を機に陸上をやめてしまったからです。え??なんで高校大学の話はこんなに短いのかって??高校大学はダメダメだったので意図的にはしょってるからに決まっt 文字数の関係です。

 

速くなりたい、速くならなければいけない。あのレースでタレたのは、この練習をこなせなかったのは自分が弱いからだ。こんな弱い人間は何をやってもダメだ。今思えばこんな価値観に侵されていた気がします。僕は努力ができない怠け者なのに、当時は価値観だけストイックで、大学時代は理想と現実のギャップに悩み何故部活に行ってまでやってるかわからなくなった時が何度もありました。そして4年間自己ベストも出せずに競技生活に幕を下ろしました。でも大学の部活は本当に走るのが好きな人が集まってて、僕もやっと走るのが好きになれました。それが本当によかった。

 

時が経ち三十路も目前となった去年の秋、東京マラソン当たったし、コレステロールは高いし、東京マラソン当たったし、残業少なくなったし、東京マラソン当たったしってことで競技的にまた走ることにしました。この先子どもができたら走れなくなるかもしれないから今のうちに、という気持ちもありました。

 

6年間走らない間に彼女ができて家族になったり、進学や就職を経て自分の興味関心が広がって陸上以外の趣味も何個かできたりしました。だから、もう中高生の時のように何もかも陸上に捧げる、みたいなことはしたくなくて、いろんなやりたいことの合間にランニングを入れ込んで、相乗効果で全部満喫する、というテーマでこの1年やってきました。

 

努力のできない僕(ゆとり偏差値83)にはそれくらいが実はちょうどよくて、幸いこの1年間ポイント練が憂鬱だったことは一度もありません。なにより大学4年間で達成できなかった5000m自己ベストの更新も目前まで来ています。だからって学生時代の自分を否定するとか、市民ランナーでストイックにやってる人を否定するとかではなくて、走るのが好きだったけど社会に出てやめてしまった人たちも、うまく熱意をコントロールできれば、好きな陸上を生活に取り戻せるんじゃないのかな、と思うんです。

 

「あの頃のように全てを捧げないとあの頃のようには走れない」は思い込みかもしれません。思い込みだと証明するn=1となりたい。そんな想いでお送りします。「片手間の熱意」